手術当日(月曜日):手術が終わって4人部屋の自分の場所に戻ってきた。お腹が痛い。
尿管は入っていなくて、オムツを履いていた。体に管は入っていなくて、点滴だけだった。
少ししたら気持ち悪くなってきた。吐きそうな気がしたのでナースコールを押した。看護師さんがきてくれて吐瀉物入れみたいなのを顔の横に添えてくれたけれど吐けなかった。
私「出ませんでした・・」。「食べてないから出ないですよねー」と看護師さん。
吐き気止めを点滴に入れてもらった。
この時点では痛いけど動かなければ我慢できないほどの痛みでは無かった。
看護師さんから「トイレ行きたくなったら付き添いますのでナースコール押してくださいね」と言われていた。夜8時頃だろうか、トイレに行きたくなったので看護師さんにきてもらった。横になった体をゆっくり持ち上げるとお腹に激痛が走った。痛い!!
看護師さんが「ふらっとしたりしないですか?」と聞かれ、「ふらっとはしないんですが、すごい痛いです・・」と言いながら痛みに耐えながら靴を履き、看護師さんに支えられてトイレに言った。
「終わったらトイレの中の呼び出しボタン押してくださいね。」と言われ、一人でトイレの個室に入った。
やばい。めっっっっっちゃ痛い!!!
痛みに耐えながらオムツを破り捨て、便座に座った。用を足したら、冷や汗がドバドバ出てきた。頭からボタボタ汗が落ちる。なんなんだこの感じ。死ぬのか?なんとも言えない感覚が襲ってきた。無理だ。立てない。この状態で看護師さんを呼ぶ訳にはと思い、必死でお尻を拭いてパンツを履いたがもう限界。呼び出しボタンを押した。なかなか来てくれない。無理!!!!呼び出しボタンを押しまくった。看護師さんがきてくれた。「あの、無理です」と言ったら車椅子を持ってくてくれたのだが、便座から車椅子に自分で乗り移ることができない。
なかなか動けないでいたが、このまま便座に座っている訳にいかないので最後の力を振り絞って看護師さんに支えてもらいながら車椅子に乗り移ったら、その瞬間に気を失った。気がついたらもう一人看護師さんと先生が来ていて、私はベッドの上にいた。みんなで私をベッドに寝かしてくれたようだ。この間何秒か何分なのかわからないけど記憶が無い。
しばらくしたら汗が引いて血の気が戻ってきた。あぁびっくりした。
こうなった原因は、先生は術後の痛みによる迷走神経反射じゃないか?と言っていて、看護師さんはずっと横になっていていきなり立ったから脳に血液が回らなくて貧血になったんじゃないか?と言っていた。私はよく貧血になるけれど、今までの貧血とは違う感覚があったので、迷走神経反射だったのだろうと勝手に思っている。
次の日のお昼まで安静にしてくださいということになり、自力でトイレに行くのは禁止になった。体を動かすと痛いのでずっと同じ仰向け姿勢でいたら今度は腰が痛くなった。
明日まで水が飲めないので口をうがいさせてもらった。早く水をごくごく飲みたい・・。
ほとんど寝られなかったが、うつらうつらちょこちょこ寝た気がする。
手術翌日(火曜日):朝、痛みは昨日よりかマシになった。
朝、採血とレントゲンがあった。歩いていけないのにどうやってレントゲン取りに行くんだろうと思っていたら、レントゲン技師の人がガラガラと機械を持って部屋にきてくれた。背中に板のようなものを挟んで入れて、寝たままレントゲンを撮った。
採血もレントゲンの結果も問題なく、9時から水が飲めるようになった。あぁ水が飲める幸せ。
お昼頃、ベッドから起き上がって見ましょうと看護師さんと歩行チェック。昨日おかしくなって不安だったけど歩いてみて問題なかったので、自分でトイレ行っていいし、病院内を歩いていいことになった。
まだお風呂は入れないので、看護師さんにタオルで体を拭いてもらった。前は自分で拭いてくださいとタオルをもらって自分で拭いた。気まずいので、その方が良かった。着替えを手伝ってもらい、いつもの上Tシャツ下スウェット姿になれた。ペラペラですぐはだける手術着は落ち着かないので早く着替えたかった。
お昼ご飯が出た。重湯、ホットミルク、野菜スープ(具なし)、りんごジュース、麦茶。全て液体の流動食だ。喉乾き症の水分大好きな私でも食べ物は固形で摂取したい。重湯は液体のりを連想してしまい食が進まない。私は今回だけ流動食だけど、もし病気になって固形物が食べられない状態がずっと続いたら心が病むと思う。母も抗がん剤治療後、水分以外受け付けなくなったり、手術後に何食べても喉につかえて食べられなかった時、本当に辛そうだった。
食事の満足度を上げることは生きてくことでとても重要なのだなと思った。
将来固形物が食べられない体になったらどうしたらいいのだろう?母の容態が悪くなってまた食べられなくなったらどうしよう?と悪いことばかり考えてしまった。
午後になると痛み止めが効いているのか、痛みはだいぶよくなっていた。
コーヒーも飲んでいいと言われたので、自販機でホットコーヒーを飲んだ。なんだか美味しくて3杯も飲んでしまった。
19時夕飯の時間。鯖の煮物、おかゆ、大根の煮物、桃の缶詰。正直美味しくなかった。
梅干しを持参していたので、おかゆに入れて食べた。こういう時の梅干しは本当助かる。
その後、何もやることはないのでまたコーヒーを買いに行って飲みながらYouTubeなどを見て過ごし、21時に消灯。連日寝てないが、眠くなかったがやることないので目を瞑ってじっとしていた。
やはり今日も隣のおばあちゃんがよくトイレに行く。3時ごろようやく眠くなってきたが、寝そうになっても物音で起きてしまう。向かいの大きなおばさんも私と同じ昨日手術して、痛み止めがあまり効いていないのか、夜中に痛みを訴えていた。どんな手術をしたのかわからないが、つらそうだ。
あぁ早く安眠したい。
手術翌々日(水曜日):朝、採血があった。その後、7時朝ご飯。そろそろ白米になるかな?と思っていたらまだお粥だった。お粥、鮭塩焼き、味噌汁、ほうれん草煮浸し、ヨーグルト。ヨーグルトがつめたくてやけに美味しく感じた。
痛み止めは点滴から飲み薬に変わった。薬の間隔を6時間空ければ、痛いと思ったら自分で飲みたい時に飲んでいいとのことだった。
お風呂(シャワー)の許可が出たので、点滴の針が刺さっているところが濡れないようにビニールでカバーしてもらい、シャワーを浴びに行った。お風呂って入るまで面倒だけど入るとさっぱり気持ちいいものだ。
10時におやつが出た。おやつが出るとは知らず、「おやつでーす!」と持ってきてくれた時に「お、おやつ!?」と大きな声で言ってしまった。「10時と15時におやつ出るんですよー」と教えてくれた。
おやつ出るなんて初めてで嬉しかった。おやつは、ジョアと赤ちゃん用のソフトおせんべいだった。
特にやることはなく、引き続きYouTubeやNetflixを見て過ごしていたら、執刀医の先生が様子を伺いにきた。「どうですか?」と聞かれ、「だんだん痛みは弱くなっていますが、体動かしたり咳したりすると痛いです」と答えた。「どうしますか?明日退院しますか?」と聞かれ、「問題なければ明日退院したいです」と言ったら、「じゃあそれで進めましょう」と予定より一日早く退院することが決まった。
とにかく連日眠れないから早く家に帰って熟睡したい。
12時にお昼ごはん。煮麺、鶏つくね、大根と人参の煮物、みかんの缶詰、麦茶。今回もやはり美味しくなかった。
病院内の歯科口腔外科の予約が14時にあったので点滴をしながら行った。口の中を清潔にすることが術前術後で大事らしい。歯のクリーニングをしてもらって、帰りに病院内にあるコンビニでコーヒー買って部屋に戻った。
15時おやつの時間。ホットミルクとプリン。プリンは冷凍したものを解凍した感じでなんだか舌触りがザラザラして美味しくなかった。
特にやることはなく、ひたすらパソコンと携帯を交互にいじるだけ。眠れていないから寝たいのだが、完全に横になるとお腹が痛むし、なんだかずっと気だるい感じだった。
検温で38度あったので熱のせいだったのかもしれない。
19時夕飯。カニ玉あんかけ、白菜の中華炒め煮、お粥、バナナ。食べられるだけ幸せと思うべきなのかもしれないけど、どうして毎食美味しくないのだろう。味が薄いとかいう問題じゃなくてダシも何も効いていなくて旨味が全くない。持参した梅干しを入れたお粥が一番美味しかった。
20時ごろ、最後の点滴が終わって点滴の針を抜いてもらった。
21時消灯。ダルいが眠れない。
手術後3日目(木曜日):6時起床。寝る前最後に時計見たのが3時だったから3時間は寝られた。
朝、看護師さんが「さぁ、卒業試験です!どうかな〜?」と検温の時間。36.7度に下がっていた。「合格で〜す!」と看護師さん。
看護師さん、毎日毎日疲れることだらけだと想像するけど、明るくて尊敬する。
最後の朝ご飯。ほうれん草が入った卵焼き、大根の味噌汁、キャベツ煮浸し、白米、ヨーグルト。最後にお粥じゃなく白米になったけど、おかずが美味しくなくて進まない。持参した梅干しとごま塩ふりかけて食べた。荷造りをして、部屋を後にし、会計をした。
お腹に力入れなければ痛みはほぼなかったので一人で帰るつもりだったが、母が兄に車で迎えにきてもらいなよと何回も言うので兄にきてもらった。
家について、すぐ布団に入った。ペラペラのへたりまくっているマットレスなのに寝心地が良いのは何故だろう。すぐに眠った。
一週間後に病院を受診した。
血液検査も問題なくとポリープの結果は良性で、今後はもう通院の必要は無いとのことだった。良性だったし、全摘出する必要はなかったのかも?早まったか?と正直思ったが、今後ポリープが悪性になる不安が取り除けたので良かったということにしたい。
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