祖母が亡くなった。90歳だった。ここ2年くらいは病気して入退院を繰り返していた。認知症にもなっていて、生きる気力を無くしていた。介護老人ホームに住んでいたのだが、祖母に逢いに行くと、『もう終わりにしたい・・』と口にするようになっていた。そう言われて、私はどう言葉をかけていいかもわからず、泣きそうになるのを堪えた。もう人生を終わりにしたいのに、死ぬこともできない。ただ生かされているようだった。祖母が亡くなったと連絡が来た時、正直少しホッとした気持ちにもなった。やっと終わりにすることができたんだね。
一昨日お葬式だった。私は何故お葬式をやるのか、理解できない。お葬式はきちんとお別れするための儀式とかいうが、そんなもの必要ないと今回改めて思った。普段は無宗教なのに、何故お坊さんを呼んでお経を読んでもらうのか。お経読んでもらわないと成仏できないのか?なんで?戒名って必要なくない?なんでお坊さんにお心付けとして、お金を渡さなきゃいけない?お心付けとして、坊主に30万渡したらしい。おかしくないか?坊主は税金が取られない。まさに坊主丸儲け。実際、坊主は高級車で式場にきた。火葬場の人にもお心付けでお金を渡していた。断りもせず当然のように受け取る火葬場の人。なんなんだこの世界。本来の支払金額のほかに何故お金を渡さなきゃいけない。確かに人の死の現場で働く人は精神的にも大変なのかもしれないけれど、ありがとうございます、という気持ちなのかもしれないけれど。お金は確かにもらったら嬉しいけれど。お心付け(チップ)文化、私は納得がいかない。お葬式は必要ない。こんなことを言ったら色んな人に怒られそうだし、軽蔑されるかもしれないけれど、これは私の正直な気持ちだ。
おばあちゃんに静かにお別れを言うだけで充分じゃないか。
私が死んだら葬式はやらないで、死体を焼いてもらうだけでいい。お葬式にくる人で本当に悲しんでいる人なんて少しだけで、それ以外の人は付き合いで来ただけ。火葬場の人にもお心付けは渡さないでほしい。自分でもなんでこんなにチップに嫌悪感を感じるのかわからないのだが、本当に嫌いなのだ。お金持ちでもないのに、見栄を張っているような・・気持ち悪い気持ちになる。
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