兄がレジオネラ肺炎になった

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よく温泉施設で検出されて営業停止になったとニュースになるレジオネラ菌。

まさか兄が感染してレジオネラ肺炎で生死を彷徨うことなるとは思いもしなかった。

具合が悪くなってから感染が発覚するまで6日間くらいあった。

兄は熱があって具合が悪いと寝込んでいた。最初、コロナかインフルか?と近くの病院に行って検査したら両方とも陰性で原因わからずで解熱剤をもらったらしい。その後も症状は良くならず、ご飯を食べずにずっと部屋にこもっている兄。

兄は普段から家にいないし帰ってきても部屋にこもっていて、何を聞いても曖昧で何を言っているのかよくわからないのであまり会話をしない。普段からコミュニケーションを取っていればもっと早く異変に気付けたのだろう。

3日後くらいに兄がもう一度病院行ってくるとフラフラしながら出かけた。私と母は、ただの風邪だと思っていたので、「また病院行くの?食べないから治らないんだよ」とか言っていた。

病院から戻ってきた兄はハアハアいっていて呼吸がしずらそうだった。近くの病院で紹介状をもらったので、大きい総合病院に行くという。その苦しそうな姿を見て、ただの風邪じゃないんだなとやっと思った。

危ないからタクシーで行きなよと言ったが、電車で3駅だから大丈夫と言い、兄は一人で総合病院に行った。

夕方になっても連絡がないので兄に電話すると出ない。どこかで倒れたのか?と思ったが、しばらくしてLINEがきた。「レントゲン撮ったら肺が真っ白って言われた。ひどい肺炎で2週間くらい入院になると思うって言われた」ときたので、「何か必要なものあったら持っていくから連絡して」と返事をした。母と私は、とりあえず病院に入院してれば大丈夫でしょ、と思い安心していた。

翌朝兄から「レジオネラ菌による肺炎で呼吸状態が悪いらしいから人工呼吸器つけることになるかもって言われた」と母にLINEがきた。母は「頑張って!」とLINE送り、母と私はレジオネラ菌?人工呼吸器って思ってたより症状重いんじゃね?と戸惑いながらもこの時点では、まぁ原因わかって治療受けられるんだからもう大丈夫でしょ、と思っていた。

お昼過ぎに知らない番号から私の携帯に電話がかかってきた。

「妹さんのお電話ですか?呼吸器内科の〇〇です。」病院の先生からだった。

「お兄さんの容態ですが、レジオネラ菌感染による肺炎により、呼吸が非常に危険な状態です。先ほど人工呼吸器を入れて今ICUに入っています。詳しくご説明したいので来院していただくことは可能ですか?この後、保健所の方からもレジオネラ菌の発生源のこと等の確認の電話が入ると思いますので、よろしくお願いいたします」と先生。

え、どうしよう怖い。

その後すぐ保健所の人から電話があった。

同居している私と母に症状はないか、加湿器を使ったか、お風呂追い焚きしているか、シャワーヘッドの掃除はしているか、兄のここ2週間くらいの行動履歴などを聞かれた。

しかし兄は普段どこで何をしているのか知らないので、行動履歴について何を聞かれても「わかりません」と答えることしかできなかった。プールや温泉、サウナ、行ったのかもしれないし。普段全くと言っていいほど話さないのでわからない。

仕事中だったが会社の人に事情を伝え、早退して母と病院に向かった。

なんだか大変なことになっている・・

病院に着いて母と私で先生に話を聞いた。

「昨日、来院された直後と今朝の肺のレントゲン写真を比べると、白い箇所が広がって非常に悪い状態です。呼吸も人工呼吸器の酸素濃度を最大限にしてあげないと呼吸ができていません。抗菌剤を投与していますが、レジオネラ菌で一度点火してしまった火種によってどんどん肺が炎症しています。菌に勝てるかどうかはご本人次第です。この後、もっと呼吸状態がひどくなった場合ですが、エクモという機械を使って全身の血液を体外循環させる治療をしなくてはいけなくなります。そうなった場合は負け戦だと思ってください。エクモを使う場合、機械と使用できる医師がいる別の病院に転院していただくことになります。急変などがあった場合はお電話しますので、24時間電話を出られる状態にしておいてください。」と先生に言われた。

エクモって志村けんがコロナで使った機械じゃん。負け戦って・・・助かる見込みはないけどやってみるだけってことだよね。エクモ使うって言われたら死を覚悟しないといけないってこと?どうなっちゃってるの。

母と私は「今はとにかく良くなること願うしかないよ。まだ40代だし体力あるでしょ。」とか言い合い、なんとか平常心を保っていた。

次の日の朝9時ごろ、携帯が鳴った。「昨日と変わらず呼吸状態が非常に悪いです。エクモを使う可能性が高くなってきました。必要になった時にすぐ機械を入れられるようにエクモがある病院に転院した方がいいと判断しました。救急車で転院先の病院に向かいますので、12時までに病院に来ていただけますか?」と先生。

あぁ、頼む。助けてくれ。

会社に早退することを伝え、母と病院に向かった。

ICUからベッドのまま運び出される兄。意識はない。先生や看護師さんたちが兄につながっている点滴や酸素ボンベを手にしている。先生たちがベッドの兄を救急車に乗せ、その後に母と私も乗った。

この状況は何?現実?なんだか半分、放心状態だった。初めて乗ったけど、救急車ってすごい揺れるんだな〜とか、先生は結婚指輪してるな〜既婚者なのか〜とか呑気なことを考えたりもしていた。

転院先の病院は車で10分くらいですぐ着いた。偶然、去年私が胆嚢の手術で入院した病院だった。退院の時に兄に迎えに来てもらったのに7ヶ月後に兄がこの病院に運ばれることになるなんて。

到着後、転院先の先生から話を聞いた。「エクモを使うことになった時に備えて、首に管を通す穴を開けさせてもらいました。もし使用する場合は、入れる前にお電話します。急変した場合もお電話します。急患で当直の医師が入れ替わりで診ていきます。」

私が「一日一回とか容態の連絡とかっていただけるのでしょうか?不安で待っていてどうしたらいいかわからないのですが」と言ったら、「連絡がないのは元気な証拠といいますか・・。容態が悪くなったら連絡しますので、連絡がなければ良くなっていると思ってください」と先生。

なるほど・・。不安だけど待っているしかない。

次の日、母とICUに面会に行ったら、兄が目を開けていた。人工呼吸器が入っているので喋れないが起きていた。目は開いているのだが呼びかけても反応が無い。母とどうなのこれ?と顔を合わせた。

薬の影響で意識がまだはっきりしていないのだろうか。もしかして脳に酸素いかなくて脳に障害受けたのでは無いだろうか?と不安がよぎる。

看護師さんにどうなんでしょう?と聞いたら、呼びかけには反応されてますし、意識戻ってますよ。と教えてもらった。よかった・・けど本当に?

その後当直の先生に兄に状態を聞いたら、呼吸状態は少し良くなっている。とのことだった。

エクモ使う可能性が低くなっているようで少し安心した。

次の日、私は行かなかったが姉と母が面会に行った。母に話を聞いたら、「なんかあの子言いたいことあるみたいだけど人工呼吸器入ってるから話せないし書けないからさ。なんか辛そうで見てられなかった」と言っていた。

その次の次の日、母と私で面会に行った。人工呼吸器は入ったままだから喋ることはできないが、起きていたので、何か言いたいことある?と聞いて、兄の顔の前に紙を出し、ペンを渡したら、「ここどこ?」と書いた。「違う病院に転院したんだよ。〇〇医療センター。私がこの間手術で入院したところ!」と言うと、兄は理解したようで、うなずいた。脳は大丈夫なようで安心した。

その後、先生がきて、兄の容態の説明をしてくれた。まだ人工呼吸器は外すことはできないが、エクモを使うかもしれないという状態は脱しましたので、転院前の病院に戻るよう手配進めてもよろしいでしょうか?と言われた。エクモ使わないと決まったことは良かったが、まだ人工呼吸器刺さっているこの状態でまた病院移動するの!?

先生に「できればこのままこちらの病院でみていただきたいのですが、無理なのでしょうか?」と聞いてみたが、「最初の病院の方が初めの患者さんの状態を把握していますし、先ほど確認したところ、あちらの病院は受け入れ可能とのことですので。明日か明後日になると思いますので、また決まりましたらご連絡します」と言われ、その二日後にまた最初の病院に戻った。

最初の時と同じ担当の先生だった。先生から兄の容態の説明があった。

「呼吸状態は少しずつ良くなっています。しかし肺の状態はまだ良くありません。このまま肺の状態が良くならなかった場合、常に酸素の助けを必要としながら生活することになるかもしれません。これから良くなるかもしれないし良くならないかもしれない。それはご本人の体力、抵抗力次第です。人工呼吸器は2週間が限度と言われています。人工呼吸器を喉から入れられないとすると、喉を切開して直接呼吸器を入れることになります。」

え・・・・喉を切開?常に酸素ボンベで吸いながら生活しなきゃいけないってこと?

「あの・・・ちょっと常に酸素の助けが必要になるかもっていうのが衝撃的で・・」と私が先生に言うと、先生より先に母が「先生は最悪そうなるかもっていう話をされるんだから!」とキレ気味に私に言った。

帰りの電車で「とにかく今から最悪なこと考えてもしょうがないから信じるしかないよ」と母と言い合った。

それから二日後、先生から呼吸状態がだいぶ良くなったので明日、人工呼吸器を外して一般病棟に移る予定です。と連絡があった。本当に本当にホッとした。

それから一週間くらい入院して兄は退院して家に戻ってきた。痩せて頬がこけていて体がペラペラになっていた。ずっと人工呼吸器を入れていたので声がしゃがれている。10キロ以上痩せたらしい。肺はこれからも完全には治らないのかもしれない。すぐ息切れしてしまうそうだ。タバコやめなよ!と言ったら、「もう吸う気にならないよ」と言って、家にあるタバコと灰皿を自分で処分していた。

兄に聞いたら、温泉、サウナ、プールなど、レジオネラ菌の発生源と呼ばれているところには行っていないらしい。結局、どこで感染したのかは不明なままだ。

兄がエクモ使うかもしれないと転院した日。帰りのバスを待っている時に「本人が一番辛いと思うけど何もできなくて見ている方も辛い。」と母が言った。それを聞いて私は「私の気持ち、わかった?お母さんが入院してる時に私はこの気持ちだったんだよ。」と言ったら母は「わかったよ。」と言った。

兄が生きて帰ってこれて本当に良かったけど、本当に怖かった。

人生何が起こるかわからない。一難去ってまた一難。これからも起こるのだろうな。

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